移住者が西条市に住んでくれるのが嬉しい。人と人の繋がりが西条市をさらに盛り上げる

創業70年を迎え、地元の和菓子屋さんとして長年にわたって地域から愛されてきた大阪屋の三代目、山地良太(やまじ りょうた)さん。本業の和菓子業だけでなく、シェアハウス運営や中学生硬式野球チームの監督も務めるなど、その活動範囲は多岐に渡ります。これらの活動の裏にある、山地さんの生き方や行動に通じる哲学とは? 移住者が西条市に住んでくれるのが嬉しいという山地さんに、ご自身や大阪屋のこれまでのストーリーや現在の活動、西条市への想いについて伺いました。

親子三代にわたって受け継がれる味と技術。地元・西条市に愛され続ける”大阪屋”

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厳選されたこだわりの国産材料に西条産のもち米、加えて日本の名水100選にも選ばれた西条市の綺麗な水を使用し、長年にわたって美味しい和菓子づくりを営む”大阪屋”。昭和25年の創業から数え、今年創業70周年という節目を迎えます。(2020年当時)

そんな大阪屋の三代目である山地さんに、大阪屋が手掛ける事業内容などについて伺いました。

「もともとはお餅屋だったんですが、現在はお餅だけでなく和菓子も製造しています。」

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祖父から始まったと言う大阪屋は、父親から山地さんへと引き継がれ、段階的にその活動の場を広げていったそう。

「祖父の代では、小さな町工場のような工場を営んでいました。時代の移り変わりと共にスーパーマーケットなどが建ち始めたのをきっかけに、父がスーパーマーケットでの商品販売で、大阪屋を軌道に乗せました。」

「父の世代ではこの流れに伴って、工場もさらに大きくしていく形になり、新しく人手も雇い始めました。そして新たに僕の代で小売店を始めました。スーパーでの販売や卸売りから直営店に向けて走り出したというのが現在までの流れですね。」

親子三代にわたって受け継がれるお菓子づくり。代々受け継がれる技術や味を守りつつ、新しいアイデアによって地元に愛され続ける大阪屋は、創業100年を目指して歩み続けています。

野球に家業。”人生は一度きり”という覚悟で挑む大阪屋の三代目

そんな現在の大阪屋を営む山地さんは、学生時代は野球に没頭。高校や大学では野球のエリートコースを進んでいました。

「和菓子屋をする前は、野球選手だったんですよ。社会人になって東芝の実業団に入りましたが、怪我を負いました。その時は野球に見切りをつけるなら早い方がいいと考えていましたね。もし、東芝という会社に会社員として所属したとしても、本気でその仕事がしたいとは考えられませんでしたから。」

怪我を負ったことが一つの大きな転換点となった山地さん。なぜその時点で、家業である和菓子づくりの道へ足を踏み入ようと思ったのか伺いました。

「”野球を辞めたら家を継ぐ”という家族との約束もありましたので、それまでは全力で野球をやらせてもらいました。そこから東芝を辞め、家業を継ぐことに決めました。」

野球を辞めた後の山地さんは、家業を継ぐためにお菓子作りの学校に通い、その後見習いとして徳島県で働くことになります。

「24歳のときに1年間、大阪で製菓専門学校に通いました。学校を卒業した後は、1年半ほど見習いとして徳島県で勤めました。その後結婚を決めましたので、26歳か27歳ぐらいで実家に帰ってきましたね。」

家族との約束通り、野球を辞めた後はお菓子作りに携わる覚悟を決めた山地さん。自身の結婚をきっかけに地元・西条市に帰り、大阪屋・二代目である父親と一緒に暮らすことになります。

「そこから父と一緒に住むようになるのですが、父は僕が33歳の時に現役のまま亡くなりました。急遽、代表交代という形で僕が引き継ぎ、現在に至ります。」

当時現役で代表を勤めていた父親の他界。突然の出来事で大きく混乱する最中、山地さんは三代目として家業を継ぐことになります。

”人生は一回きり”という覚悟を持って挑む山地さん。事業を軌道に乗せるために、経営の見直しやカフェの併設なども行い、紆余曲折を乗り越え、代々続く大阪屋を新たに成長させています。

精力的で幅広い活動が西条市という地域を盛り上げ、人々を結ぶ

”後世に和の文化を引き継ぐ役目が自身にはある”という信念を持って事業を営む山地さん。山地さんは本業の他にも、西条市に根付く活動を精力的に行っています。その代表的な活動のひとつが、シェアハウスの運営です。

「シェアハウスのある場所は、たまたま家から散歩していた場所でした。ここの景色が好きだったんですよね。みんながここで遊ぶ姿があり、そこには良い気が流れていると感じました。良い雰囲気があるところには、絶対人が集まるというのが当初のコンセプトでした。」

関係者からの勧めによってスタートしたシェアハウスの運営。当時の西条市には1件もシェアハウスは無く、山地さんが手掛けるシェアハウスは言わば、西条市におけるシェアハウス一号店となります。この場所が基盤となって、地域の人々との交流が活性化します。

「この場所を、みんなが好きになってくれてるっていうのが一番良いですね。屋上でバーベキューもできますし、地域の人たちも集まることができます。県外から移住してきた人たちを、”またお願いしますね”という形で地域の人に紹介することもできるので、今では移住者と地域の人が仲良くなってもらえてきたかなと感じます。」

「移住者の人は西条という土地に、しかも全く知り合いもいないところに来て、一つ一つの活動の中で知り合いを作っていかなければなりません。そこでシェアハウスをきっかけに知り合いの紹介ができれば、もうちょっと活動しやすくなるんじゃないかな、という想いもありました。そうやって段々、良い西条市になっていったらいいんじゃないかと思います。」

山地さんの手掛けるシェアハウスの運営は、地域住民と移住者を繋ぐきっかけを作る場所になっています。また、大阪屋やシェアハウスに加え、中学硬式野球団の監督という顔も持っているという山地さん。

「西条市長が7年前に立ち上げた、”西条少年野球団”というチームが始まりでした。その時、監督をしてほしいという依頼があったんです。」

学生野球に実業団と、これまで野球に多くの時間を費やしてきた山地さん。チームの監督を担った後、総監督になった山地さんは、チーム立ち上げから2年という短い期間で、なんと三期連続で全国大会へ導くことになります。そして教え子の中には、甲子園で史上初の逆転サヨナラホームランを実現した教え子もいるそう。

「彼が中学生の時、毎日ゴミを拾うように教えていました。”徳を積みなさい”ということを伝えていましたね。」

毎日やることを決めてコツコツ実践する。山地さんの監督としての成功は、事業の成功に通ずるものがあります。

野球団の子供たちにも教えた、経営や人生において大切な哲学

野球団に所属する子供たちに意識の向け方を教えていた山地さん。

「野球団の子供たちには、”打たないといけない”と思わないように伝えていました。”なんとかしなければ”では結果は出ません。打とうとか、打ってやるとか、そんな前向きな言葉に変えなさいと教えていました。」

山地さんには、この言葉に通じる大切な哲学があるといいます。

「物は売れる売れないじゃなく、売ろうとしなければなりません。野球も打てる打てないじゃなく、打とうとしなければなりません。何かをする、しないという考え方ではなく、しようとすることが色々なことに繋がってきます。」

「商品が売れないと言う前に、売れる売れないの前に売ろうとしたのか。例えば、商品を売るためにポップをつけたのか、商品を前に出したのか。店舗の店長に良い場所をもらったのかなど。売れないと考える前に、”売ろうとすること”が大切です。」

結果を憂うのではなく、結果を出そうとすることが様々な創意工夫に繋がり、求めた結果を得ることができる。その考えはまさに、山地さんが尽力してきた様々な活動全ての根本を成す、人生の哲学と言うことができます。

人と人の繋がり、そして”適材適所”が西条市をさらに盛り上げる

西条市という地域に対する想いをもって大阪屋を経営する山地さん。最後に、地元に対して思うことを伺いました。

「自分が住んでいる街ですが、住んでいるところが一番住み良い街であってほしいという想いがあります。他の地域から来てくれた移住者の方々が住んでくれるっていうのは、嬉しいですよね。」

人と人の繋がりとそれぞれの個性が、西条市の活性化に拍車をかけると言います。

「新たなサービスを作ろうとすれば、その中には色んな知り合いが絶対いるんですよね。それぞれが得意なことを行うというのは、商売をする上で必須です。自分で作っていくのももちろん大事ですが、もっと早く結果を出そうと考えれば、誰かに寄せていくことも必要になってくるでしょう。」

西条市をより住みよい街にするために、他の地域の人々と繋がりながら互いに勉強し合い、高め合っていくことで地域はより面白くなると語ってくれました。またその他にも、西条市が盛り上がる要素として、メディアについても考えがあると言います。

「西条という街全体を元気にさせてくれるものの一つとして、例えばスポーツなどがあります。その露出を増やせるようにしたらいいんじゃないかと思いますね。全国区の新聞などに”西条市”とか”西条”って言葉が出てくると、地元の人は多分嬉しいと思います。」

地元西条市に愛され続ける大阪屋の三代目・山地さん。和菓子業にシェアハウス、そして野球といった様々な活動を通して西条市を盛り上げる山地さんのチャレンジは今後も続いていきます。

(取材協力)

-おおさかや蔵はち-